パトロンと「学問の自由」

 “10億円もの国費を使っている”ことが、学術会議会員候補の「任命拒否」を正当化する材料として使われる。しかし金であやつることになれば、学問の発展はゆがめられる。ふと浮かんだのが、15、16世紀ころ「科学者」という職業はまだなく、パトロン(庇護者、保護者、後援者)に依存しなくては研究することも困難だったレオナルド・ダ・ビンチやガリレオ・ガリレイの時代のことだ。

 自然科学の新しい始まりはルネサンスからである。芸術や万学に通じ、物理学のきわめて多種多様な部門の重要な諸発見につながる役割を担ったレオナルド・ダ・ビンチはその代表である。ダ・ビンチは、ミラノ公国のロドヴィコ・イル・モーロ侯に宛てた手紙で、種々さまざまな攻守両用の武器とともに、公私の大建築、水道建設技術、そして大理石の彫刻や絵画の作成などを売り込んでいる。

 ダ・ビンチは、パトロンのもとに生活しなければならない苦境のもとにあったが、ダ・ビンチのような偉大な人物を育てる社会が存在していたのである。ルネサンスは、明るい自由な雰囲気をつくりだし、人類がそれまでに体験したうちで最大の進歩的改革を歩むことになった。

 「それでも地球は動いている」というガリレオの逸話は英雄科学者の姿として語り継がれる。そのガリレオも、トスカナ大公付きの主席数学者兼哲学者だった。監獄に入ることを命じたガリレオ宗教裁判の目的は、天動説と地動説のどちらが正しいかが争われたのではなかった。「太陽は地球の中心であって動かない」というのは聖書と矛盾し信仰上は誤りだとして切り捨てるのではなく、ガリレオが異端思想を抱いていることを自覚させ、贖罪の機会を与えることにあった。

 やがて、科学は、神学に絶縁状を送り、科学者みずからの信念に基づく学問が保障される時代を迎えていく。そして、ニュートンの時代あたりから学問を職業にする「科学者」が認められる社会になっていく。

 「学問の自由」は、ながい人類史のなかで築かれてきた。日本の場合は、1933年の滝川事件や35年の天皇機関説事件のように国家権力による学問への侵害の反省にたって「学問の自由」が憲法に規定された。日本学術会議の独自性は、この到達点に立つもので奪うことのできない輝きを放つものである。

菅首相は、「任命拒否」の理由をひたすら隠す。そして、意地悪なパトロン的感覚さえ滲ませて“10億円もの国費”などと恫喝する。こんな姿勢は抗議されるべきものである。菅首相は、6氏の任命拒否を取り消し、「学問の自由」を生かし、自由な学者たちと手をたずさえて未来にすすむ道を選択してこそ、国民の利益にかなう政治をすすめることになる。
《日本学術会議「任命拒否問題」④》

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